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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)1457号 判決 1982年8月10日

控訴人(附帯被控訴人)

星野忠芳

右訴訟代理人

石井成一

小沢優一

小田木毅

桜井修平

川崎隆司

細谷義徳

控訴人(附帯被控訴人)訴訟代理人石井成一訴訟復代理人

水谷直樹

控訴人(附帯被控訴人)訴訟代理人小沢優一訴訟復代理人

妹尾佳明

被控訴人(附帯控訴人)

水村英世

右訴訟代理人

森田三郎

中西克夫

主文

一  原判決中控訴人(附帯被控訴人)敗訴の部分を取消す。

被控訴人(附帯控訴人)の右部分の請求を棄却する。

本件附帯控訴(当審において拡張された請求を含む。)を棄却する。

二  控訴人(附帯被控訴人)は、被控訴人(附帯控訴人)に対し、金一四二万三二〇〇円及びこれに対する昭和四六年七月三〇日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人(附帯控訴人)の本件その余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを五分し、その一を控訴人(附帯被控訴人)の、その余を被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

四  この判決は、右第二項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一控訴人が加害車を所有して、右自動車を自己のために運行の用に供していたこと及び昭和四三年二月四日午前零時二〇分ころ、神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜一三九九番地附近の本件道路上を熱海方面から小田原方面に向い進行中の加害車が吉浜橋の左側らんかんに接触の上、右斜め前方に暴走し、対向してきた被害車に衝突して、加害車に乗車していた被控訴人が脳挫傷等の傷害を受けたことは、当事者間に争いがない。

二控訴人は、本件事故当時、加害車を運転していたことを否認し、右事故は被控訴人が加害車を運転中に発生したものであるから、被控訴人は自動車損害賠償保障法第三条の「他人」には含まれず、又控訴人に対し、民法第七〇九条により損害賠償を請求し得るものでもないと主張するので、その点につき判断する。

1  前記当事者間に争いがない事実に、<証拠>を総合すれば、本件事故が発生した現場附近の情況は、原判決添附別紙図面(一)のとおりであること、本件道路は、巾員7.8メートルで、センターラインが引かれたアスファルト舗装の平坦な道路であり、熱海方面から小田原方面に向い吉浜橋の手前約七メートルの地点で道路が右に曲つており、橋の部分は、長さ三一メートルで、巾員は、六メートルと狭くなつており、橋の手前六二メートルの所に巾員減少の警戒標識が立つており、交通規制はなく、夜間は街灯がないため暗く見透しが悪い状態であつたこと、吉浜橋の入口左側らんかんに約2.6メートルの長さにわたつて、高さ0.7メートル及び0.4メートルの個所に平行に加害車のものと思われる白色塗料の擦過痕が着いており、加害車の車体の左側には、右擦過痕に符合する高さの個所に平行して、上の線は、前輪の附近から車体後部まで、下の線は、車体の約半分の長さに、擦過痕が着いていること、加害車は、熱海方面から小田原方面に向い進行して本件事故の現場に差しかかり、右吉浜橋の入口左側らんかんに車体の左側を接触させ、こすりながら進路を右に転じてセンターラインを越え、折柄、反対方向から進行してきた被害車と衝突し、右図面(一)のとおり、前輪は1.7メートル、後輪は二メートルの長さのスリップ痕を道路と平行に残し、車体は、ほとんど道路と直角に停止し、又被害車は、右図面(一)のとおり、道路にやや斜めになつて停止したこと、加害車の前部は、大破し、総体的に後方に押しつぶされ、その状況は、ことに左側部分が甚だしく、被害車も、その前部が右側からほとんど全面的にこわれ、とくに右側の方が斜めに強くつぶされていることが認められる。

そして、加害車と被害車との衝突地点は、右図面(一)の×地点ではなく、同地点より数メートル西方(熱海方面寄り)の地点であると推論するのが相当であり、この点については、原判決第四一丁裏六、七行目の「ところで」から第四三丁裏九行目までの説示(その引用する証拠関係を含む。)をここに引用する(但し、同第四二丁裏初行の「(例えば三〇度程度)」を削る。)。

2  さて、本件に顕れた証拠をその内容からみると、運転者が控訴人であるとするものと、被控訴人であるとするものとに大別される。そして、本件事故当時における加害車の乗員四名の乗車位置について、右証拠のうち、控訴人が運転者であるとするものは、助手席に井上学、後部右座席に被控訴人、後部左座席に新井一男がそれぞれ坐つていたとしており(以下、この場合を「乗車位置甲」という。)、被控訴人が運転者であるとするものは、助手席に控訴人、後部右座席に新井一男、後部左座席に井上学がそれぞれ坐つていたとしている(以下、この場合を「乗車位置乙」という。)。おおむねかような証拠関係のもとで、加害車の運転者が控訴人であるかどうかについて検討する。

(一)  <証拠>によれば、新井一男は、本件事故後まもなく、すなわち昭和四三年二月四日午前零時五〇分から行われた実況見分の際に、立会人として、運転者は控訴人であると述べた外、その後行われた同日の司法巡査の取調べ、同月一一日及び同年一一月二九日の司法警察員の取調べ、昭和四五年九月一一日の検察官の取調べに対し、又控訴人に対する刑事被告事件の公判廷において証人として、いずれも運転者は控訴人であり、乗車位置は甲であると供述していること、井上学も右被告事件の公判廷において証人として、右と同趣旨の供述をしていることが認められ、右各供述の内容が一貫し、大筋において一致していること、ことに新井一男の実況見分の際の供述は、本件事故後まもなく、その現場において、記憶も新たなうちになされたものであることを考え合わせると、前記各証拠は、十分措信し得るものというべきである。

(二)  右各供述が一貫しているとの点については、成立に争いのない乙第一号証の存在が、一応問題となるであろう。右乙第一号証は、昭和四三年六月三日付の新井一男の司法巡査に対する供述調書であるが、その中に、新井一男の供述として、「車に乗つた位置は、今思い出せないが、私が、後部座席に乗つたことは覚えている」「私は、事故現場で山本利平に対し、水村さんが運転していたと答えた」旨の記載があるのである。しかし、右供述調書には、直接、運転者は被控訴人であると述べた記載がないばかりでなく、前記甲第五、六号証、乙第一九号証によれば、右摘記の供述は、新井一男が、取調官からかなり執拗に、「運転者は水村ではないか」ときかれて、ついこれに合わせる形で述べたものであつて、真実を述べたものではないことが認められる。成立に争いのない乙第三二号証もこの判断を左右するに足りない。

又右各供述が、大筋において一致しているとの点については、甲第三号証が、一応問題となるであろう。右甲第三号証(昭和四三年二月四日付供述調書)には、新井一男の、「同月三日夜、井上学、被控訴人と私の三名がバー船で飲んでいるところへ、控訴人が一人で飲みにきた」との供述記載があるのである。しかし、前記乙第一九号証によれば、新井一男は、山本利平から、「四人が一緒に飲みに行つたのではまずいから」といわれたため、前記のように述べたものであることが認められ、この一事をもつて、直ちに、加害車の運転者及び乗車位置に関する部分までも措信し得ないとするのは、相当でないというべきである。

(三)  前述のように、新井一男が、一貫して運転者は控訴人であると供述していることについては、そのように供述するようにとの山本利平から新井一男に対する何らかの指示或は働きかけ(以下「供述工作」ともいう。)がなされ、そのため新井一男が、事実を偽つて右供述をしたのではないかという疑いが、本件において問題とされている。そこで、若干の観点から検討する。(イ)前記乙第一九号証によれば、本件事故後まもなく行われた実況見分の際、既に山本利平がその場に居合わせ、新井一男と会つたことが認められるが、新井一男が、立会人として、運転者は控訴人であると述べるにつき、山本利平から何らかの働きかけがなされたことを示す証拠はない。(ロ)その他の機会にも、山本利平によつて右供述工作がなされたことを認めるに足る証拠はない。前記乙第一号証には、新井一男の供述として、「病院から警察へ山本利平と二人で行く自動車の中で、同人から、『水村君が運転していたのではまずいから、星野が運転していたと警察へ申立をしろ』といわれた」との記載があるが、前示のように、新井一男が、本件事故現場で、山本利平に対し、運転者は被控訴人であるといつたとの供述部分が措信し得ない以上、これと不可分に結び付いている右供述も措信することはできない筋合である。従つてまた、この点に関しては、成立に争いのない乙第三一号証の一よりも成立に争いのない同号証の二を採用するのが相当である。(ハ)山本利平が、控訴人に対し働きかけをしている事実から、新井一男に対しても供述工作をした事実を推認することができないか。以下に述べるとおり、この点も消極に解すべきである。すなわち、乙第三一号証の一、成立に争いのない乙第三号証、第一四号証を総合すれば、山本利平は、本件事故の翌五日控訴人を入院先に訪ね、同人を便所に呼び出し、同人に対し、「警察に事故のことをきかれたら、バー船に行つてハイボール一杯だけ飲んで運転したといつてくれ」といつたことが認められ、一見山本利平が、運転者を控訴人にするための工作をしたかのようであるが、かかる工作を、不利な立場に追い込まれる当の控訴人に対して行うというのも疑問であるし、右各証拠に成立に争いのない乙第四号証を加えて考えると、本件事故の前日である三日夜、山本利平方の裏の家で同人が幹事役を勤める選挙関係の集まりがあり、控訴人は、山本利平と知人関係(後述)があるに過ぎなかつたが、その席に招かれ、新井一男、井上学、被控訴人を含む十数名の客と飲食を共にしたこと、その後、新井一男、井上学、被控訴人及び控訴人の四名が、三軒のバーで飲酒した帰途、本件事故が惹起されたこと、山本利平は、本件事故の発生を知り、新井一男から、運転者は控訴人であると聞いて、右選挙関係の集りのことが控訴人の口から警察に洩れることを極度に恐れ、控訴人が、飲みはじめから新井一男ら三名と行動を共にしたことを隠す目的から、前示「バー船に行つてハイボール一杯だけ飲んで」という言葉になつたことが認められ、従つて、右に摘記した山本利平の言葉は、その前段に重点があつたものと解するのが相当である。控訴人の供述記載(前記乙第四号証)によれば、山本利平が「そうしないと新井一男の証言と食い違うことになる」といつたというのであるが、前認定のとおり、新井一男は、山本利平から頼まれて、前日(二月四日)警察官の取調べにおいて、「控訴人が、一人でバー船へ飲みにきた」と供述しており、この供述と食い違うことになることを意味していると解することができる。そして、成立に争いのない乙第二九号証、前記第三一号証の一によれば、山本利平は、右のように病院の便所で控訴人と言葉を交わした後、便所から出てきて、控訴人の姉星野澄に対し「星野がやつたんじやあないんだつてよう」といつたことが認められるが、若し、工作の重点が運転者の点にあつたとすれば、隠しこそすれ、わざわざこのようなことをいうであろうか。むしろ、控訴人がバー船まで単独行動をしたように工作したことを隠すことに狙いがあつたとさえみられるのである。かような次第で山本利平が右のような働きかけをしたことから、新井一男に対しても供述工作をしたことを推認するのは、困難である。(ニ)<証拠>を総合すれば、被控訴人は、山本利平の親戚筋に当ること、新井一男及び井上学は、本件事故時より数年前から山本利平方の自動車修理工場に勤め、住み込んでいたこと、一方、控訴人は、昭和四二年三月他所から湯河原にきてスポーツ用品店を開業し、山本利平とは、同人の世話で自動車を購入し、修理してもらい、同人とゴルフをするという知人関係にあつたことが認められ、山本利平との親疎の程度ということになれば、控訴人が最も遠いということになるであろうが、このことを考慮に入れても、本件の証拠関係からは、山本利平が、新井一男に対し、前記供述工作をしたことを認定することはできないといわざるを得ない。

8 右のように、加害車の運転者が控訴人であり、乗車位置が甲であると認定した場合、右認定が、本件事故によつて、乗員が飛ばされたりした状態、乗員が蒙つた傷害及び着衣の損傷並びに加害車の損傷等に照らし、これらと符合する点を有するかどうか、許容し得ないものでないかどうかなどについて検討する。

(一)  <証拠>を総合すれば、

(1) 加害車の運転席及び助手席の前面の窓ガラスは、全部割れて付いてなく、被控訴人は、うつぶせになつて、上半身がボンネットの上にあり、下半身が加害車内に残つており、新井一男が、外から右被控訴人の身体を車外に引き出そうと試みたが、その下半身が車体の一部にひつかかつて、思うように引出ができない状態であつたこと、

(2) 加害車の運転席と助手席とは各別個の席となつているが、控訴人は、助手席の上に、左を下にして横向きに横たわり、頭を助手席側の方に、足を運転台の方に向けていたこと、新井一男が、右控訴人の身体を助手席側のドアから車外に引き出し、右ドアの下の路面に仰向けに寝かせたこと、

(3) 井上学は、被害車の車体の下へ、その右側の前輪と後輪の間に、仰向けになつて上半身が入つており、下半身が右車体の右側の外に出ていたこと、

(4) 新井一男は、本件事故の後も後部座席に残つており、軽傷であつたので(後述)、加害車の左側のドア(加害車は、いわゆるツウドアである。)から自力で車外に出て、前述のように、控訴人の身体を車外に引き出し、次いで被控訴人の身体を引き出そうと試みたこと、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  加害車の乗員が、本件事故によつて蒙つた傷害の部位、程度及び着衣の損傷等について。

(1) 被控訴人

<証拠>を総合すれば、被控訴人は、脳挫傷及び頭腔内出血(脳挫傷等の傷害については、当事者間に争いがない。)、左第六、七、八、九、一〇肋骨々折及び外傷性気胸、皮下血腫、第三脳神経損傷にて、昭和四三年二月四日から同四四年九月四日まで(但し、同年八月一日からは、輸血による血清肝炎治療のため、内科転科)一年七月間入院し、更に引続き七月間通院治療を受けたこと、昭和四六年五月一一日眼筋麻痺の疑いがあるとの診断を受けたこと、本件事故により意識を失い、一一日後の二月一五日意識を回復したが、本件事故前日である二月三日夜山本利平方を出てから本件事故の発生に至るまでの事柄については、全く記憶を喪失していることが認められる。

(2) 控訴人

<証拠>によれば、昭和四六年一月二一日付医師の回答書において、控訴人は、頭部及び口唇部の傷害(中等度)を受けたが、右口唇部の傷害は、約一週間にて治療した、本件事故当日である二月四日、控訴人の会話は、口唇部が腫れて困難ではあつたが、正常であつた旨記載されていること、右記載と<証拠>を総合すれば、控訴人は、頭部外傷、口唇部挫傷の外、左目上瞼、左肘、左膝のすぐ下、左腰、左脇腹、左足甲にも外傷や打撲傷を受けて治療してもらい、一二日間入院し、二月一五日退院したこと、着衣についてみるに、紺色カーデイガンの左肘部分が長さ約一五センチメートル、左脇腹の部分が横に約一〇センチメートル破れ、ズボンの左膝が破れて直径約三センチメートルの穴があいたことが認められる。

(3) 井上学

<証拠>によれば、井上学は、頭蓋骨々折、脳挫傷及び頭腔内出血の傷害を受けたこと、本件事故後七日ないし一〇日にて意識を回復し、昭和四三年九月一四日退院するまで七月間余入院していたこと、この外左足にも負傷したことが認められる。

(4) 新井一男

<証拠>によれば、新井一男は、安静加療約七日間を要する両下腿打撲擦過傷及び右中指挫創の傷害を受けた外、左肩及び左腰にも打撲を受け、約四日間痛んだこと、ズボンの左下腿及び左腰の部分が破れたことが認められる。

(三)  そこで、以下、鑑定意見について検討する。原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証(樋口健治作成の昭和四五年八月三一日付鑑定書)、乙第一八号証(樋口健治の証人調書)、鑑定人樋口健治の鑑定の結果及び証人樋口健治の証言を樋口意見と総称し、鑑定人江守一郎の鑑定の結果、成立に争いのない乙第三九号証(江守一郎作成の昭和五五年三月三日付意見書)及び証人江守一郎の証言を江守意見と総称する。

(1) 井上学について。

樋口意見によれば、井上学は、助手席にいて、衝突により、頭、顔、膝等を前方の物入れなどにぶつける、左ドアは、右衝突によつてロック金具が外れ、強い衝撃がきて極端に前方に開き、井上学は、加害車の左旋回(上から見て時計の針と同じ方向)によつて路上に投げ出され、被害車の車体の下まで飛ばされたとみる。江守意見によれば、助手席の人間が、前方にぶつかれば、そのように飛ぶことはない、何よりも、加害車の左ドアは、ヒンジ(蝶番)がこわれて約一八〇度開いた(この点は、樋口意見も認める。)のであるが、加害車の衝突前後の時速差約五〇キロメートルとみられる本件において、単なる衝突や助手席の人間がぶつかつた位でヒンジがこわれることはあり得ない、後部左座席にいた井上学が、飛び出してぶつかつたことによるとみる外はないと断ずる。これに対して樋口意見は、助手席に控訴人が残つたという前提(江守意見)で考えると、井上学が、後部左座席から路上に飛び出したとするのは、どうしてもおかしいといい、更に江守意見は、助手席の背もたれの留め金は、衝突によりこわれており、助手席の人間は、前方の物入れなどにぶつかつているから、飛出しの邪魔にならないと述べる。

なお、<証拠>によれば、加害車の助手席の背もたれは、留め金がこわれて、固定されず、前後に自由に動かすことができる状態になつていたことが認められる。

(2) 控訴人について。

樋口意見によれば、控訴人は、運転席にいて、衝突により、ハンドルの下側に腹部を、胸、顔をハンドルに、頭部を前面の窓ガラスにぶつけ、車体の左旋回によつて助手席に倒れた、控訴人が運転席にいた公算は、極めて大きく、九五パーセント以上であるといい、なお、運転者に一般的に多い胸部の傷害が控訴人にないのは、衝撃の力は大きいが、時間が極めて短いからと説明する。江守意見は、控訴人は、助手席にいて、一二度位左前方に飛び、物入れなどにぶつかつた、本件のような衝突では、運転席にいて助手席に移動することはあり得ない、控訴人が運転席にいた可能性は、零であると断ずる。これに対し、樋口意見は、控訴人が助手席にいたとすれば、物入れの凹損の程度に比し、控訴人の頭部外傷が軽すぎ、この点が、乗車位置乙を採用するに当つての無視し得ない難点の一つであるといい、更に江守意見は、控訴人の頭部外傷は、身体が浮き上つて、頭を前面窓ガラスにぶつけ、これを破壊したことによるが、被控訴人もほぼ同時に前面窓ガラスを破壊しているから、控訴人の頭部外傷が軽くても不思議はないと反論する。

なお、<証拠>によれば、助手席前の物入れは、厚さ0.4ないし0.6ミリメートルの鉄板で作られているが、その回り或は下部などが、人体がぶつかつたようにへこんでいることが認められる。

(3) 被控訴人について。

樋口意見によれば、被控訴人は、後部右座席にいて、衝突によりやや左前方へ投げ出され、その際、助手席の背もたれの右側にて胸を打ち、頭部を前面窓ガラスにぶつけ、これを破つてボンネット上に飛び出したという。江守意見は、後部右座席の者が、ボンネット上に飛び出す可能性がないとはいえないが、本件の場合、他の三名が運転者でないことが物理的に証明することができるので、結局、被控訴人が運転者であるとの結論が導かれる、被控訴人は、左肋骨を五本骨折しているが、ハンドルも曲つているから矛盾はないという。更に樋口意見は、運転者は、衝突の際、腰部をハンドルの下側に押し付けられるし、ハンドルが障害物となつているから、ボンネット上まで飛び出す例は極めて少ない、若し飛び出したとすれば、下腹部に受傷している筈であるといい、江守意見は、一般論をいうなら、後部右座席の者が、ボンネット上に飛び出す例も極めて少ないのであるという。

(4) 新井一男

同人については、後部座席のうち左右いずれであるかの問題であるが、同人が左肩及び左腰に打撲を受け、ズボンの左下腿及び左腰の部分が破れたこと、乗員はやや左前方に飛ばされたことから、同人は後部左座席であることが、僅かに推認されるにとどまり、江守意見は、新井一男については、ほとんど触れるところがない。

(四)  これを要するに、樋口意見及び江守意見は、それぞれ結論及び理由を異にして相対立しているが、江守意見が、控訴人運転の可能性は零であると述べる外は、いずれも絶対的な結論を示したものではなく、当時飲酒して酔つていた各乗員が、衝突に際して示した身構えの有無、程度など未確定の要素がいくつかあつて、右両意見自体の当否は、にわかに断じ難いものがあり、控訴人運転の可能性は零である旨の断定的な江守意見も、たやすく賛同し難いところである。かように、右各鑑定意見から、積極的な結論を導くことは困難であるが、他面、右検討したところによれば、少なくとも、運転者は控訴人であるとの前示判断が経験則に反し許容し得ないものであるとするに足るほどの資料は発見し得なかつたものというの外なく、他に本件に顕われた全証拠を検討しても、右判断を左右するに足るものは存在しないのである。<証拠>によれば、控訴人は、一貫して自己が運転者であることを否定しているが、前掲各証拠と対比し措信することができない。

4 前説示によれば、加害車の運転者は、控訴人であると認められる。そして、この事実に、前記一に認定した事実、<証拠>を総合すれば、控訴人は、飲酒運転をせず、自動車運転者としてハンドル操作を確実にして進行し、もつて事故を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、運転開始前に飲んだ酒の酔もあつて漫然と進行した過失により、前記吉浜橋の左端らんかんに加害車の車体の左側面を接触させ、更に加害車を右斜め前方に進行させ、折柄対向してきた被害車の前部に加害車の前部を衝突させ、本件事故を惹起させたものであつて、控訴人に過失があることは明らかである。

そして、本件のように加害車を自己のため運行の用に供する者と加害車の運転者とが同一人である場合には、被害者は、その者に対し、自動車損害賠償保障法第三条に基く損害賠償請求権と民法第七〇九条に基く損害賠償請求権とを競合して有するものと解するのが相当である。

三控訴人は、仮に控訴人が自動車損害賠償保障法第三条及び民法第七〇九条に基き、被控訴人に対し、損害賠償債務を負担するに至つたとしても、右債務は既に時効により消滅していると抗争するので、その点につき判断する。

1  被控訴人が控訴人に対し、本件事故による損害の賠償を求めて原審裁判所に本訴を提起したのは、本件事故より三年五か月余を経過した昭和四六年七月二七日であつたことは、本件記録上明らかである。

2  <証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  被控訴人は、本件事故により脳挫傷等の傷害を受け(この点は、当事者間に争いがない。)、意識不明となり、直ちに厚生年金湯河原整形外科病院に入院し、昭和四三年二月一五日ようやく意識を回復したが、本件事故前後の情況については、今日に至るもその記憶を喪失していること、

(二)  本件事故は、その直後から捜査当局の取調べるところとなつたが、加害車に乗つていた控訴人、被控訴人、井上学、新井一男の四名は、飲酒して相当酔つていた上、控訴人は一貫して加害車の運転者は被控訴人であると主張し、井上と新井は、加害車を運転したのは控訴人であつたと供述したものの、新井は、数回の取調べの中で従前の供述と異なり、一時は運転者は被控訴人であつたという趣旨の供述をしたが、再び前の供述に復して、運転者は控訴人であつたと供述する等その供述の一貫性を欠いたため、捜査当局も加害車の運転者を確定しかね、ようやく昭和四五年に至り、控訴人を運転者と断定し、業務上過失傷害等被告事件として、横浜地方裁判所小田原支部に公訴を提起したこと、

(三)  右刑事裁判では、控訴人は、運転者は被控訴人であると主張して、その刑事責任を争つたが、同裁判所は、審理の結果、加害車を運転していたのは控訴人であると認定して、昭和四六年三月三〇日控訴人を有罪とする判決を言渡したこと、

(四)  加害車が控訴人の所有であることは、本件事故前より被控訴人の熟知するところであつたこと、

3 そこで、本件における各請求につき、右各事実を前提として、果して消滅時効が完成していたかどうかが問題となる。

(一) 先づ、自動車損害賠償保障法第三条による損害賠償請求についてであるが、

同条によれば、自己のために自動車を運行の用に供する者(以下「運行供用者」という。)が、その運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、その自動車を自ら運転していたかどうかにかかわらず、その損害を賠償する義務があり、ただ被害者がその自動車の運転者であつたときは、他人性が阻却される結果、損害賠償義務を免れることになるものと解されている。

本件では、控訴人が加害車の運行供用者であることは当事者間に争いがないのであるから、被控訴人が運転者であつたかどうかは、結局他人性の阻却事由があるかどうかの問題に帰着する。他人性は、被控訴人が運転者であつたことが証明されてはじめて阻却されるのであるから、その主張立証責任は、運行供用者である控訴人側にあり、従つて、被控訴人が本訴を提起するに当つては、加害車の運転者を特定する必要はなかつたというべきである。

そうすると、被控訴人は、本件事故後、加害車の運行供用者を知つた時が加害者を知つた時になると解されるところ、被控訴人が本件事故以前より加害車の所有者が控訴人であることを熟知していたことは先に認定したとおりであるから、被控訴人が本件事故により喪失した意識を回復した昭和四三年二月一五日には、本件事故の加害者を知り得るようになつたという外はなく、従つて、その時点より時効期間は進行するというべきであり、被控訴人の本訴提起は、右時点より三年を経過した後であることは明らかであるから、被控訴人の右損害賠償請求権は、既に時効により消滅しているというべきである。

(二)  次に民法七〇九条に基く損害賠償請求権についてであるが、不法行為に基く損害賠償の請求権の消滅時効期間は、被害者が加害者を知りたる時より三年間と定められている(民法第七二四条)ところ、被控訴人が加害車の運転者が控訴人であつたことを確知し得たのは、前記認定の各事実によれば、控訴人に対する第一審刑事判決のあつた昭和四六年三月三〇日と認めるのが相当であり、被控訴人が本訴を提起したのは、前記のとおり昭和四六年七月二七日であるから、本訴が右請求権の時効期間経過前に提起されたことは明らかである。よつて被控訴人は控訴人に対し、いまだ民法七〇九条に基く損害賠償請求権を有しているというべきである。

四控訴人主張の危険の承諾及び過失相殺については、次のとおり付加、訂正のうえ、原判決の理由説示三(第四八丁表一行目から第四九丁表八行目まで)を引用する。

1  第四八丁表二行目の「成立に争いのない甲第二ないし第六号証」を「前記甲第二ないし第四号証、同第六号証」に、同四行目の「同第二二号証」を「同第二七号証」に改め、同行目の「同第三一号証の一」の次に「、控訴人本人尋問の結果(原審及び当審)」を加える。

2  第四八丁裏一行目の「行つて酒を飲み、」を「行つたが、控訴人は、既に山本方で日本酒を茶碗に二杯、「クルミ」と「ツクシ」でウイスキーの水割りを各二杯位飲んでいたため、相当酔つており、店内のソファーに横になつたりしていたが、午前零時ころ、」に改める。

3  第四九丁表一行目の「出来ない」を「出来ず、そのまま運転するときは、操作を誤り、いつ事故が発生するかも知れない」に改める。

4  同五行目の「乗車した以上、」を「危険を知りつつ乗車した故をもつて、直ちに被控訴人が危険を承諾したものとみなし、控訴人の責任をすべて免れしめることは相当ではないが、少なくとも」に改める。

5  同七行目の「三割」を「六割」に、八行目の「七割」を「四割」に改める。

五被控訴人の損害額については、次のとおり付加、訂正のうえ、原判決の理由説示四(一)(第四九丁表一〇行目から第五一丁表六行目まで)を引用する。

1  第四九丁末行目の「成立に争いのない」を「前記」に改める。

2  第五〇丁裏一〇行目の「金七四万〇六〇〇円」を「四二万三二〇〇円」に改める。

3  第五一丁表一行目の「成立に争いのない」を「前記」に改める。

4  同六行目の「金七〇万円」を「金一〇〇万円」に改める。

六以上によれば、被控訴人の自動車損害賠償保障法第三条に基く請求は、すべて理由がなく、原判決が、右請求の一部を認容したのは失当であるが、その余を棄却したのは、結局相当であるから、原判決中控訴人敗訴の部分を取消し、被控訴人の右部分の請求及び被控訴人の附帯控訴(当審において拡張された請求を含む。)を棄却すべく、被控訴人の民法第七〇九条に基く請求は、前記説示の限度で理由があり、その余は理由がないから、右請求中、控訴人に対し、金一四二万三二〇〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であること本件記録上明らかである昭和四六年七月三〇日より支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を認容し、その余を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九六条、第八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(杉田洋一 野崎幸雄 松岡登)

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